更新:2025.12.26 文責:林 明明 (理研)
この研究トピックは12月に執筆したものですが、現在はすっかり寒くなってきました。皆さま、どうぞ暖かくして体調にお気をつけてお過ごしください。
ところで、寒冷は「ストレス」の一種であると考えることができます。私たちは日常生活の中で、寒さや暑さといった温度変化、仕事や勉強のプレッシャー、不快な音や臭い、人間関係に伴う不安など、さまざまなストレスを経験しています。一般に「ストレス」という言葉は、心身の健康を損なうといったネガティブな意味で使われることが多いかもしれません。しかし実は、状況や課題によっては、ストレスがパフォーマンスを向上させることも示されています。
私はヒトの記憶機能に注目し、ストレスが記憶に及ぼす影響を調べたことがあります。結論を先に述べると、実験参加者が短時間の一過的なストレスを体験することで、ストレス体験前に学習した単語の記憶成績が向上するという結果を得ることができました。
この実験では「学習後ストレス」と呼ばれる手続きを用いました。これは、単語などの刺激を覚える学習課題を行った後に、参加者に一過的なストレスを負荷する方法です。具体的には、私は短い騒音ストレスとして、ホワイトノイズ(砂嵐のようなノイズ音)をヘッドホンを通して5分間呈示しました。学習後にストレスを体験するという状況は、日常的な経験としてはやや不自然に感じられるかもしれません。しかしこれは、覚える際の情報入力そのものにストレスの影響が及ばないようにし、ストレスの効果をより明確に検出するための実験手続きとしての工夫です。
このような一過的なストレスによる記憶の向上は、動物が変化する環境に対応するための適応的なプロセスであると考えられています。もちろん、ストレスによるネガティブな側面もあります。例えば、ある程度までは記憶を高めるものの、ストレスが過剰になると記憶成績が低下するという「逆U字型」の関係が知られています。また、極度に強いストレスは記憶の過剰な固定を引き起こし、病理的な状態につながる可能性も指摘されています。
私の実験では、感情価(喜びや恐れといったような感情の範囲)や覚醒度(穏やかや興奮といったような刺激から喚起される覚醒の程度)が異なる単語を用いて、ストレスの影響を検討しました。その結果、統計的にはこれらの違いにかかわらず、ストレスを負荷した条件の方が記憶成績は高くなりました。すなわち、ストレスが記憶を高めることが示されたのです。
冒頭の話に戻りますが、すっかり寒くなってきました。寒冷もストレスの一種であるので、日常生活で経験する一過的な寒さも、実験と同様に記憶を高める可能性が全く無いとは言い切れません。ただし、寒さは体調不良の原因にもなりますので、多くの人が防寒に努めている中で、あえて寒さを求めるようなコントラリアン行動を取ることはおススメできません。とはいえ、どうしても短時間外に出なければならない場面があるなら、その前に少し勉強をしておくと、記憶の定着に役立つことがあるかも?――そんなことを考えたことはあります。もっとも、私自身は結局のところ防寒に勤しんでしまい、それを実践したことはありません。皆さまもどうか、暖かくしてお過ごしください。
参考文献
林 明明 第4章 ストレス・不安と認知機能. 丹野義彦 編集代表 (2024). 認知臨床心理学 認知行動アプローチの展開と実践.東京大学出版会,東京,pp41-52.